きみの目に星が瞬く

 ほら見て、と差し出されたそれがなにか、ジュンはしばらく思い出せなかった。
「ええ、忘れちゃった?」
 日和はあからさまに不満げな様子だ。もう一度胸元に抱え直し、丸いボールに足のようなスタンドがついたそれをくるりと撫でる。それを見て、おぼろげな記憶がようやく手繰り寄せられた。
「ああ、あの」
「そうそう。ジュンくんがもらってきたプラネタリウムだね! 春の引越しのどさくさで、ぼくの荷物に紛れてたみたい」
 はい、と手元に押し付けられ、思わず受け取ってしまった。
「ええ、まだあったんですね、これ……」
 てっきりもう捨てたか、それこそどさくさに紛れてどこかにやってしまったと思っていた。使ったのだって、たしか一回きりだ。
「うん、ぼくのところに置いてあるのもどうかと思って」
「っていうか、どうやって紛れ込むんですか、こんなもん。結構大きいのに」
「さあ?」
「ジュンはん、そんなとこで喋っとらんと、入ってもろたら?」
 ジュンと日和のやり取りが聞こえたのか、背後のこはくから声がかかった。
「あ、すんません、出入り口で。邪魔でしたね」
「それはええけど。わし、もう出るから気にせんとって」
 避けたジュンの隣を、鞄を肩に引っ掛けたこはくがすり抜ける。
「こはくくん、こんな時間からお仕事?」
 日和の問いに、まあそんなとこ、と答えたこはくが、ジュンの手の中の球体を見つめる。大きな瞳がぱちりとまばたいた。
「プラネタリウム?」
「ああ。家庭用の、まあおもちゃみたいなもんですけど」
「へえ。わし、見たことないわ」
「そうなの? じゃあまた、ジュンくんに見せてもらうといいね!」
 日和がにっこりと微笑む。つられるように、こはくも口元に笑みを浮かべた。
「せやね。ちょっと見てみたいわ。ほな、遅くならんうちには帰ってくるから。日和はんも、ごゆっくり」
「うんうん、ありがとう。こはくくんも気をつけてね」
 ひらひらと日和は手を振って、そして入れ替わりに部屋に上がり込んだ。
「いや、まだなんか用事ありました?」
「別に? ついでにジュンくんの暮らしぶりを見て帰る義務があると思っただけだね!」
「ないっすからねぇ〜、そんな義務」
 特に何をしていたわけでもないので、わざわざ追い返す理由も見当たらない。勝手にソファーを陣取る日和を横目に、ジュンは後ろ手に扉を閉めた。

 
 まだ慣れない現場で手渡されてしまえばいらないとも言えず、寮まで持ち帰ってきた小さなプラネタリウム。
 これから映し出される星空は、ジュンの手のひらよりも小さく丸い。寮室の明かりに透かしてみても、うまくイメージできなかった。
 見たい見たいとせがむ日和に言われるがまま、ジュンはセッティングを始めた。こんなものを使うのは初めてだけれど、さいわい玲明の寮の部屋は天井も壁も白いので、きっと問題はないはずだ。
「ジュンくん、早く」
「はいはいっと」
 説明書通りにその小さな宇宙をセットし、他のライトは全て消す。電源を入れると、一面といってもいい夜空が、ぱっと天井に映し出された。
「おお」
「わあ」
 思わず同時に声が漏れた。おもちゃだと思っていたけれど、これはなかなかに本格的なようだ。甘かったピントをしっかりと合わせると、より星空らしい。
「結構、ちゃんとしてるものだね」
「そうですねぇ」
 こっち、と隣を叩かれたので、しぶしぶ日和のベッドに上がった。この先輩は今まで接してきた誰よりも距離感が近いので、ジュンとしては落ち着かない。落ち着かないが、ここしばらくの付き合いで逆らうだけ無駄だということもわかっているので、素直に従う他はなかった。
 日和はじっと天井を見上げている。ジュンもそれにならって、しばらく言葉もないままに天井を見つめた。どういう仕組みなのか、ちらちらと瞬く様子まである。
「星空って、こんな感じだっけ?」
「……さあ?」
 考えてみれば、星空を見上げた思い出など、ジュンにはほとんどない。
「オレはあんまり、星とか見た記憶はないですねぇ」
 夜遅くまで、レッスンと称して父親にあれこれとやらされていたような気はする。安い賃貸アパートの室内でやっていると苦情が来るので、日が落ちてからも公園やら高架下やらで過ごしていたこともあった。都会でもない代わりに空気が澄んでいるような田舎でもなかった住宅街では、見上げたところで星などろくに見えなかっただろう。
「ぼくが子どもの頃、巴の家は今よりもたくさん別荘を持っててね」
 ベッドの上で膝を抱え、日和はぽつぽつと話し始めた。

 そのうちのひとつ、あれはどこだったんだろうね、ぼくも小さかったからあんまり覚えてないんだけど。どこかの高原に、避暑に過ごす別荘があったんだね。標高が高くて、涼しくて、学校に上がるぐらいまでは毎年のようにそこで過ごしてたね。
 そこで一度、兄上と星を見に、夜に出かけたことがあるね。それが、どうも大人に黙って出かけた上に、途中でぼくが転んで怪我をしてしまってね。だから、兄上がものすごく叱られちゃったんだね。
 その別荘には、子どもを叱るときに閉じ込める部屋があったんだ。そこは暗くて冷たくてさみしくて、ぼくはわがままで何度も入れられたことがあったね。そこに兄上が閉じ込められちゃった。
 兄上も馬鹿だよね。ぼくのせいにすればいいのに、ぼくはそんなこと慣れてたから平気だったのに、正直にぼくを庇うものだから。ぼくが悪いんだから兄上を叱らないで、って泣きながら頼んだんだけど、ダメだったね。

 それは淡々とした言葉だったけれど、呑気に綺麗な星を眺めた思い出など話されるのかと思っていたジュンにとっては、胸をつかれるような気がした。
「……別に、それ、おひいさんが悪いわけでもないでしょう」
「うん、そうかもしれないけどね」
 ジュンの気が利かない言葉に、日和は何もなかったように微笑む。
「こんなこと忘れたような気がしてたのに、今になって急に思い出したね。まあ今思えば微笑ましいお話だね!」
「はあ、そっすかねぇ」
 どこが微笑ましいんだ。そう言いたいのを飲み込んで、ジュンもふたたび紛いものの夜空を見上げる。
 あ、と日和が声を上げた。
「見た? 流れ星だね!」
「えっ、まじですか? どこです?」
「んもう、どうして見てないかな! ジュンくんはちゃんとぼくが見てるものを見てないとダメだよね!」
「あんた、いつものことながらめちゃくちゃですよぉ。そういえばオレ、流れ星も見たことないです」
「ああ、でもぼくも、本物はないかもしれないね」
 そうだ、今度一緒に見に行こうか? と、日和は名案を思いついたかのように高らかに言った。
「いやいや、そんな暇ないでしょうよ、今のオレたちには。やることが山積みなんですから」
「えぇ? それはジュンくんだけでしょ? つまんない子だね。ぼくが行こうって言ったら行くの!」
 今に始まったことではないにしろ、辛辣な上に横暴すぎる。閉口する振る舞いには違いないが、また流れるかな、と偽物の星空を一心に眺めている日和を、どうも今日だけは憎みきれなかった。
「……そっすねぇ、いつか」
 ジュンの返事に、日和は満足そうにうなずいた。


 そういえば、その後なんだかんだと夜のロケや泊まりがけの仕事などもあったのに、落ち着いて星を見るような時間を持つことはないままだった。
 たまたま自分の目の前に落っこちてきた星。そんな気持ちで日和を見ていたこともあったけれど、本当はそうじゃなかった。それが、ジュンにもようやくわかりつつある。
「今度見に行きましょうか、星。山とかに」
「山?」
 ジュンに淹れさせた紅茶のカップを傾けながら、日和は目をぱちくりとさせた。うなずくと、あは、と笑われる。

「まあ、ジュンくんが責任を持って連れて行ってくれるならいいね。ぼくは山道なんか歩き慣れていないからね!」


2023/07/07 Eve6周年に寄せて

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